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  • 2017.04.14

GK金沢克彦コラム #141

GK金沢コラム連載第141回!! 「俺の居場所はあそこしかねぇんだよ!」

オカダ戦後、硬膜下血腫に倒れた柴田勝頼
17年前からあるものを背負い闘い続けていた……
新日本プロレスにとって春の最大のビッグマッチに位置づけされている4月の両国国技館大会。今年の4・9両国大会は、内藤哲也がオカダ・カズチカを破りIWGPヘビー級王座を初戴冠した、1年前の歴史的大会の観客動員(9078人=超満員札止め)を上まわる1万231人を集客した。もちろん、前売り券・当日券ともチケットが完売しての数字。

驚くべきは、昨年の『G1 CLIMAX 26』最終戦の8・14両国大会の集客数(1万204人=超満員札止め)さえ、わずかながらも凌駕したこと。

盤石の王者・オカダは今年の1・4東京ドームのケニー・オメガ戦で、世界中のプロレスファンを驚嘆させ、さらに米国WWEのトップ選手やOBたちからも絶賛を浴びた。

つづいて、もっとも苦手な相手である鈴木みのるを迎え撃った2・5札幌大会でも鈴木の関節技地獄を耐え抜いて、レインメーカーで完全決着。進化しつづけるオカダは本当の意味で強さを感じさせる絶対王者となってきた。
 
その眼前に挑戦者として立ちはだかったのが、3月の『NEW JAPAN CUP』を制覇した柴田勝頼。オカダとは3年半ぶり2度目の一騎打ち、さらに2004年の7・19札幌大会で当時の王者・藤田和之に初挑戦して以来、なんと12年9カ月ぶりのIWGPヘビー挑戦となる。

オカダと柴田。遺恨も因縁もない。世代も違うし、この3年半、ほとんど交わることもなかった。それでも決戦ムードが日に日に高まり、その期待感が当日ピークにまで達した要因は、柴田の発する言葉がプロレスファンに存分に届いたからだろう。

「男の根性、見せてやる!」
「生まれたときから、俺は新日本プロレスだった」

正直、時代遅れのフレーズかもしれない。だけど、試合だけではなく、コメントにおいても、みんなが現代プロレスと現代プロレス用語にはしるなか、むしろ柴田が発する素の言葉は新鮮にさえ映った。

コメントでも原点回帰。オカダvs柴田の物語でありながら、同時進行で新日本プロレスと柴田の物語、その18年ストーリーがクローズアップされてくる。作りや飾りのない柴田のプロレス観、人生観までもが浮き彫りとされ響いてきた。

明らかに、ファンは柴田に乗った。柴田待望論──。ひと昔前に流行ったフレーズではないが、「今、プロレス界には柴田勝頼が足りない」という空気が出来上がったのだ。

実際に、試合は凄まじくて素晴らしく、期待以上の攻防となった。無論、柴田の物語のなかに王者・オカダが堂々と足を踏み入れていった点も見逃せないだろう。

38分を超える文字通りの死闘だった。敗れたとはいえ、柴田は完全燃焼。オカダがまたひとつステップアップしたのと同様に、この一戦で柴田もグレードを上げた。柴田勝頼とは何者なのか? なぜ、こんなにも柴田というレスラーに惹かれてしまうのか? 昔の柴田を知らないビギナーファンでさえも、そこの部分を完全に理解したのではないだろうか?

つまり、このタイトルマッチの実現は大正解だったし、これがプロレスという競技(ジャンル)において最高のハッピーエンドと言えるのだ。

ところが、試合終了後、その余韻が覚めやらぬなか、事態は一変した。観客の目に見える範囲でいうと、ベルトを巻いたオカダがバッドラック・ファレの襲撃に遭い、完全KOされてしまったため。

一方、ファンの目のとどかないバックステージでは先に引き揚げてきた柴田に異変が起こっていた。終わってみれば、IWGPヘビー級選手権終了後に勝者も敗者も誰もコメントを出せないという異常なエンディング。こんな事態は前代未聞だろう。

そこで当然、柴田の話となる。足もとをふらつかせながらもなんとか自力で花道を引き揚げてきた柴田は、入退場口のカーテンをくぐってからダウン。そのまま起き上がれなくなった。昨年負傷した箇所の胸椎は慢性化してヘルニアになっており、頸椎と右肩の怪我も治癒していない。しかし、この大一番でテーピングだけはしたくないから、痛み止めを服用してリングに向かったことは知っていた。

それもあって、胸椎か頸椎の負傷箇所が悪化し、身体が痺れ動けなくなったのかと最初は思っていた。ところが、林リングドクターと三澤トレーナーが駆け付け、柴田に話しかけたり、腕が動くかどうか反応を窺ったりしているうちに、柴田の反応がみるみる鈍くなっていくのがわかった。

「もしかしたら、頭部になにか異常が起きたのかもしれない」

見守っていたマスコミ数名の間で、それを心配する声があがり始めたところへ、救急隊が到着。柴田を慎重に担架に乗せて、救急車へと搬送していった。そして翌日、新日本サイドから、「硬膜下血腫が見つかり、手術を行なった。手術は無事に終わり、現在安静状態」と公式発表があった。

硬膜下血腫というのは、一般的に頭部に衝撃を受けたことによりおこるもの。交通事故に遭い頭を打ったときなどによく見られる症状だと聞いている。プロレスにかぎらず、過去に起こったリング禍では頭を打って脳挫傷と硬膜下血腫に見舞われたケースが多い。

不幸中の幸いは、柴田の場合、血腫の量が少なかったことだという。だからリング上で昏倒することなく、自分の意思と根性で花道を引き揚げることができたし、付き添っていた若手選手ともなんとか会話ができたのだろう。

ここまでが、私が実際に目撃したシーンと伝え聞いた情報だ。問題は、そこから先の話となる。こういう事態(事故)が起こると、マスコミ報道はより慎重になる。そこで考えてしまうのは二つのこと。まずタブーというか、対象が柴田だからこそ気を使ってしまい各マスコミが表に出せないのが、同じく硬膜下血腫により亡くなった福田雅一選手(享年27)のこと。福田選手が試合中に昏睡状態に陥り戦闘不能になったときの対戦相手が、柴田であったからだ。

2000年4月14日、気仙沼市総合体育館でのこと。第8回ヤングライオン杯(以下、YL杯)公式戦の開幕第1戦だった。前年10月にデビューしたばかりの柴田は、キャリア半年で20歳とエントリーメンバーのなかで最年少。一方の福田選手はキャリア4年で27歳。だから率直にいうと、両選手の力量差は歴然としていた。

日大レスリング部時代には国体準優勝の実績をもつ福田選手は、1995年にレッスル夢ファクトリーに入門しデビュー。98年、新日本の『ベスト・オブ・ザ・スーパーJr.』に初出場し、強烈なジャーマン・スープレックスを切札に大谷晋二郎ら新日ジュニアのトップ勢を相手に大健闘。それが認められて、99年に新日本への移籍が実現した。まさに、インディーズドリームを地でいく男だった。
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