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  • 2017.05.13

GK金沢克彦コラム #144

GK金沢コラム連載第145回!! 「ロッシー小川還暦祝パーティー」

プロレス業界生活40年! 
新米記者だったGKの恩人・ロッシー小川が還暦パーティーを開催!
 先だっての5月1日、都内千代田区のホテルで開催されたスターダム社長・ロッシー小川さん(本名・小川宏)が主役のパーティーに出席した。パーティーの名目は、『ロッシー小川還暦祝パーティー プロレス業界四十周年記念』というもの。最初に招待状がとどいたときは、そのいかにもといった風情の封筒を見て、「えっ、もしかして再×するの?」と思ったのだが、開いてみるとやっぱり違った(笑)。

 いずれにしろ出席である。ロッシーさんは私がちょうど31年前に、この業界でキャリアをスタートさせたときから、よくしてもらった人物。全日本女子プロレス(以下、全女)の広報担当だったロッシーさんは、『週刊ファイト』の新米記者だった私に対して、じつに親切で協力的に接してくれた。
 当時でいうと、女子プロ界はクラッシュギャルズ(長与千種&ライオネス飛鳥)全盛期で、その宿敵であるダンプ松本のヒール人気と知名度は抜群。フジテレビのレギュラー放送も絶好調だった。ちなみに、同年8月には、カムバックしたジャッキー佐藤、期待の新人である神取忍、風間ルミらを擁したジャパン女子プロレスが誕生している。

 ロッシーさんは、5月1日生まれで、還暦を迎える当日にパーティーを合わせた。私が『週刊ファイト』の親会社である新大阪新聞社での研修をスタートさせたのが、1986年の5月1日。偶然なのだが、これもなにかの縁なのかもしれない。同時に、やはり新米時代に受けた恩には忘れられないものがある。だから、迷わず“出席”の返信だった。

 ま、それほど大袈裟な話ではないと皆さん思うだろうけど、とにかく私はパーティーとかそういった類のものに出席するのが大の苦手ときている。基本的な社会的対応能力が欠如しているのではないか? そう自分で感じるほど苦手なのだ。

 まず、正装するのが息苦しくてたまらなく嫌。ネクタイをするのは、冠婚葬祭……いわゆる結婚式、葬儀、法事だけと決めている。だから、テレビ出演のときにも、ジャケットは着用してもネクタイだけはしない。昨年7月、大阪読売テレビの人気番組『そこまで言って委員会NP』に出演したときも、ノーネクタイで通した。周囲の出演メンバーは、著名タレント、大学教授、政治評論家など文化人だらけ。それでも、出演を承諾する際に、「ネクタイを着用しなくていいのなら」という条件をつけて番組ディレクターに呑んでもらった。

 だいたい、ネクタイをしたくないから、こういう仕事をしていると思っていただいてもいいほどなのだ(笑)。

 もうひとつ、パーティーを苦手としている理由は、面識のない人に挨拶をされ、会話するのが苦痛だから。本来なら、こういうときの出会いが仕事につながっていったりして、自分にプラスになると考えるのが普通らしい。でも、私は普通ではないから(笑)、初対面の挨拶をして名刺交換をして、「あーだ、こーだ」と表面的な笑みを浮かべて会話を楽しむことができない。できなくはないけれど、苦痛の時間でしかない。だから、その人の顔も名前も会話の内容すらも、ほぼ忘れてしまう。それに、こういう場に来ると名刺があっという間になくなってしまうではないか(笑)。

 たとえば、『週刊ゴング』の編集長を務めていた約6年の間、東京スポーツ『プロレス大賞』授賞式には5回出席した。じつは、これも嫌でたまらなかった。パーティーには受賞者だけではなく、いろいろな団体のいろんな選手、関係者が集ってくる。

 初対面でも選手ならまだいい。「がんばってください!」の一言で会話は済むからだ。困るのは、知らないフロントの人たちが次々と挨拶にくること。「ウチの団体もひとつ誌面でよろしくお願いします」的に超低姿勢で来られるから、まいるのだ。だから東スポ大賞授賞式のとき、私はいつもパーティー会場の隅っこのツイタテあたりに半分身を隠して、ウーロン茶などを飲んでいた。

 かといって、試合会場などでファンの人から声を掛けられたり、握手や記念撮影を求められたりするのは、一向にかまわない。

「この人たちによって、プロレス界も私自身も支えられているのだな!」

 そういう認識が出来上がっているから、できる限りきちんと丁寧に対応するように心がけている。

 いつものように話がそれまくった。つまり、いくらパーティー嫌いの私でも、ロッシー小川さんには恩があるから、即決で出席しようと思ったということだ。

 会場には、プロレス関係者200人ほどが集まった。スターダム所属選手、来日外国人選手や全女、アルシオンのOGたち。さらにマスコミ関係者が多数。マスコミには懐かしい顔ばかりが多かった。元・ベースボールマガジン社の浜部さん、安西さんなどは最近でも会場でよく会うし、ジミー鈴木氏と会うのはひさしぶりなのにひさしぶりという気がまったくしない。それだけジミー氏はそこにいてもいなくてもインパクトが強いからだろう。

 ひさしぶりを通り越して、おそらく25年ぶりくらいに顔を見た茨木清志さん(元・W★INGプロモーション代表)は、なぜか昔とまったく風貌が変わっていなかった(笑)。

 もっと驚いたのは、見知らぬ人に声を掛けられたと思ったら、よく知っている人物だったこと。さかのぼること31年前、先述したように私が『週刊ファイト』の母体である新大阪新聞社の編集部で研修に入ったとき、同じように入社試験にパスして一緒に研修を受けていた2名のうちの1人、Yさんだった。
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